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【ウクライナとロシアの歴史】
【ウクライナ豆知識】
ウクライナの国土は日本の1.6倍でヨーロッパで3番目に大きい、ロシアはその28倍。
ウクライナの人口は4400万人でヨーロッパで7番目に多い。
ウクライナ語はロシア語とは結構違いがあり、ウクライナ人は
両方喋れるが一般的にロシア人はウクライナ語がわからない。
ウクライナ語はどちらかというとポーランド語やベラルーシ語に近く、ポーランドに移住する人が多いのは言語的、
文化的共通点が多いのも理由の一つ。
ベラルーシのルカシェンコ大統領は民族的にはウクライナ人。
ベラルーシは白ロシアという意味。
enkoやchukなどが最後に付くものはウクライナ特有の苗字。
女性にお花をプレゼントする事が一般的なので花屋が多い。
偶数の花はお墓や葬式用なので絶対に奇数であげる事。
14世紀頃誕生したコサック(コザーク)は侍と共通点があり、しばしば比較される。
コサックダンスはロシアの文化と誤解されるが発祥はウクライナ。
【ウクライナとロシアの歴史】
5世紀、キーウ(ロシア語でキエフ)の創建。
9世紀後半~13世紀半ば、キーウ大公国(キーウ・ルーシ)という連合国が建国、中心地は現在のキーウ。ロシアの名前はルーシから来ている。
1130年代、キーウ大公国の崩壊が始まり、キーウ公国が建国。
1240年、モンゴル帝国の侵攻でキーウ大公国は完全崩壊、
キーウ公国は占領される。それ以降東スラヴ人はモンゴル侵攻後各地方で異なる道を歩み、ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人の民族の違いが出始める。
1917年2月、ロシア帝国が崩壊、ウクライナ人民共和国が樹立。
1917年10月、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立。
ウクライナ・ソビエト戦争勃発。
1918年10月、オーストリア・ハンガリーの解体、
西ウクライナ人民共和国独立。
1918年11月、ポーランド共和国と西ウクライナ人民共和国
との間で戦争勃発。
1919年1月、ハルキウでソビエトの傀儡政権として、
ウクライナ社会主義ソビエト共和国樹立宣言。
1919年1月、ウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国が統一される。
1919年2月、ソビエト軍、キーウを占領。
1919年7月、ポーランド軍、西ウクライナを占領。
1920年4月、ポーランド・ソビエト戦争開始。
ウクライナは戦場に。
1921年3月、ポーランド・ソビエト戦争が終結し、
西ウクライナはポーランド領、その他はソビエト領となる。
1922年12月、ソビエト社会主義共和国連邦結成、
ウクライナもその一部に。
1932~33年、ソ連のスターリンが計画的に行なったホロドモール(大飢饉)でウクライナ人が400万~1450万人が亡くなった。
1939~1945年、第二次世界大戦でウクライナ人が
800万~1400万人が亡くなった。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所事故が起きる。
1991年、ソビエト連邦崩壊、ウクライナは独立。
1994年、ウクライナ・米国・英国・ロシア・他で「ブダペスト覚書」を締結。核兵器を放棄するかわりに領土の安全性と独立的主権が保障されることに。それを踏まえて、2014年のクリミア危機・ウクライナ東部紛争と2022年ロシアのウクライナ侵攻はロシア側の義務違反と関係諸国から批判の声。
2004年、親露派のヤヌコーヴィチと親欧米派のユシチェンコによる大統領選挙が行われ、ヤヌコーヴィチが勝つが不正が行われたとして国民によるデモやストライキ、いわゆる「オレンジ革命」が行われた。その結果親欧米派のユシチェンコが大統領になる。
2010年、親露派のヤヌコーヴィチが大統領になる。
2014年2月、反政府運動「ウクライナ騒乱(通称 : マイダン革命)」が勃発し、ヤヌコーヴィチがロシアへ逃亡、トゥルチノフが大統領代行になり、新政権が発足。ウクライナ領のクリミア半島をロシアが一方的に併合を宣言。ドネツィク、ルハーンシク(ルガンスク)などドンバス地方をロシアが主導したとされる
親露派武装勢力が占拠。
2014年6月、選挙でポロシェンコが大統領になる。
2014年9月、OSCE(欧州安全保障協力機構)、ロシア、ウクライナ、ドネツィク、ルハーンシクの代表者達で停戦などを前提としたミンスク議定書(ミンスク合意)が締結されるも、その後小規模戦闘は度々起こる。
2015年、2度目のミンスク議定書が締結、
しかしその後小規模戦闘は度々起こる。
2019年2月、ウクライナがEUとNATOへの加盟を目指す事を憲法に記載する改正法にポロシェンコ大統領が署名。
2019年5月、ウクライナの選挙で元コメディアンのゼレンスキーが大統領になる。
2021年、ロシアがウクライナ国境付近にロシア軍を集結させる。
プーチン大統領はNATOの東方への拡大とウクライナを加盟をさせない事を要求。NATOは拒否。
2022年、2月7日にフランスのマクロン大統領、
15日にドイツのショルツ首相がそれぞれプーチン大統領と会談。
2022年2月21日、プーチン大統領はドネツィクとルハーンシクを共和国としての独立を承認、ロシア軍派遣を命じる。
2022年2月23日、ウクライナ全土に非常事態宣言を発令。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。
【プーチン大統領は何故戦争を起こしたか?】
日本人にとっては複雑すぎるこの問題。簡単に言えばロシアのプーチン大統領はヨーロッパ諸国とアメリカを恐れている。
歴史を見ればおのずと分かりやすく、
1812年、ナポレオンがロシア帝国に侵攻、モスクワは陥落。
1914~15年、プロイセン(現在のドイツ)がロシア帝国に侵攻。
当時ロシア領だったベラルーシやウクライナからロシア帝国は退却。その後国家財政が逼迫してロシア革命でロシア帝国は崩壊。
1941年~1945年、第二次世界大戦中ドイツがソ連に侵攻、独ソ戦が始まる。ソ連は大敗で数々の重要拠点を落とし、ソ連側の死者は2000万~3000万人とも言われている。
このように西ヨーロッパ側に何度も侵攻された経験を持つ。
その恐れからロシアの隣国に敵国(NATO諸国)を置きたく無い。
ソ連が崩壊した1991年にNATO(北大西洋条約機構という軍事同盟)加盟国は16ヵ国だったが、現在は30ヵ国にまで増えロシア方面の東方にまで拡大して行っている。
ウクライナには重要なパイプラインが通っており、海軍を展開出来る黒海があり、経済的にも軍事的にも重要地域。
ウクライナがNATOに加盟するという事はロシアにとって極めて危険で、ドネツィク、ルハーンシクの様な緩衝国と成り得る地域を増やしたい。そしてウクライナの政権をベラルーシの様なロシア寄りの傀儡政権にしたい。とプーチン大統領は考えている。
【最後に】
ウクライナには10回以上コンサートで行った事もあり、各地に何十人も友人達がいるので心配です。素朴で優しくて純粋な人が多くて、時には喜怒哀楽が激しい人もいるけど、それも素敵な個性。そんなウクライナ人が大好きです。
キーウ、ハルキウ、ドニプロ、ジトーミル、ドネツィク州、ルハーンシク州にもコンサートで行った事があり、その時両州の市は親露派に占拠されていました。
ウクライナの軍人達が護衛の為にホールを取り囲んで行なったコンサート、最初は怖かったが兵長の様な人が「部下に内緒でサインくれよ♬」と話しかけに来た。彼の笑顔は少年の様に純粋でした、そんな人達が戦わなきゃいけない状態なんです。
ウクライナ人は才能を持つ芸術家やアスリートが沢山います。
以下はウクライナ人、ウクライナ系、生誕の偉人達。
スポーツ選手 : 大鵬幸喜、シェフチェンコ、プルシェンコ、エメリヤーエンコ、クリチコ兄弟、ロマチェンコ
音楽家 : カプースチン、チャイコフスキー、プロコフィエフ、
ホロヴィッツ
ウクライナの友人達、愛しています。
どうか皆無事でいて下さい。
Дуже дякую / ドゥージェ・ジャークユ
(どうもありがとう)